今日こそは!今日こそは再び葉山先生に会う!と決意して前の晩から色々と画策。
そして、朝一番の回にて鑑賞成功。
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まさに!会場のライトが消され真っ暗になった時に着席して、スクリーンに
監督 行定勲
が浮き上がって来ました。
今回はとりとめなく、長い文になります、本当にとりとめなく書きましたので、あしからず(*^o^*)m(._.)m
ナラタージュ。
そうか、手法と思っていたけど、実は、語り手の主観だけのストーリー展開なのね。
潤さまが何度も言ってるのが、
葉山が何を考えているのかわからなかった。
そうなんだ、これはいずみが思い出してる葉山先生の物語。だから、演ずる松本潤にすれば、葉山の主観がわかるはずがない。恋に答えてもらえなくて、焦れったくてどうしてこんな事をするんだとイラつくいずみから見てる葉山先生なんだから、葉山先生の本当の気持ちなんか脚本にあるわけがない。
そこから、葉山先生の分析を始めて、芝居をしていったなんて、確かにクリエイティブだわ。
今までになかった演じ方、全く新しい芝居、というようなニュアンスのインタビューが多いのはこういうことなのかな。
でも、時にドキッとする葉山先生の目線、伏し目のまつ毛、そしてまっすぐ見つめ合った時の艶のある瞳。
特に、酔って髪を切ってくれる?とお願いする時の、
「ダメ?」
あれは、いずみがノックアウトされた、記憶の中の鮮明な葉山先生なんだろう。
そして、潤さまが舞台挨拶で言っていた、
葉山の台詞は、反対の意味に取ると違った解釈が出来るかも?なんて事も、
いずみが理解できなかった葉山先生の本心、と思えば納得がいく。
それにしても、恋愛って苦しいものだった、と改めて思い出した。
恋をしてハッピーなんて、ほんの一瞬で、
むしろ付き合う前が一番楽しいのかもしれない。
今日はナラタージュを見てそんなことを思っていた。
いずみは、学校の社会科準備室に行く事が毎日楽しかった。先生にクッキーをあげて美味しい!と言ってもらえたことに舞い上がるほど嬉しかったに違いない。
葉山先生は、毎日、彼女が来てくれて、コーヒーを一緒に飲み、映画の話をするのことで、きっと、苦い思い出から逃れ、今を生きる楽しさを味わっていたに違いない。
ある行為から始まる付き合うという段階。
そこから実は恋愛の苦しみが始まる。
独占欲、嫉妬、相手を好きなのに何故か自分を理解してもらえないと焦燥する。
葉山先生といずみの間なら、付き合ってないけど、
キスされて1年以上放置って事が、、いずみに怒りにも似た感情を持たせる、好きが募るばかりにも関わらずである。
葉山先生はその間、何をしてたのか。
いずみは、何度か、先生は変わらない、相変わらず、と言う。それは、私を放っておいてヒドイ、という非難の気持ちの裏返しである。彼女から動けなかったのは、先生と生徒という上下関係に縛られていたからか。
会ってないし連絡もなかったから、葉山先生のその間の様子を知る由も無い。
一方、先生自身は、恋人も作らず、そんなものを作るつもりもない、と言っていた。
心の拠り所であった学校からいずみが居なくなり、
いずみと出会う前に戻ってしまったのではないか。
奥さんの起こした事件に囚われ、離婚できない奥さんへの罪悪感から逃れられない精神状態に。
奥さんへの気持ちは、きっとまだ残っているんだろう。それが愛だけなのか、わからない。責任感、切れない愛もある。
でも、いずみへの気持ちは、確かな恋愛感情だろう。
自分の立場では、いずみを幸せにする資格が無いと諦めている。どちらを取るか、自分にはいずみを取る事は出来ない、と固く信じている。
だからこそ、恋ではなかった、と一回突き放した。
いずみは、葉山先生と別れていく事を覚悟して、先生のもう一度部屋に行きたいと言った。
そして先生と最初で最後に身体を合わせるのだが、
私はこのシーンが好きだ。
これこそが松本潤の真骨頂であると思う。
まさに、クリエイター。
いずみは、自身で語っているように、葉山先生の全てを感じ取ろうとしがみつくように抱かれ、また抱いている。
葉山先生はいずみの身体を愛しみながら、その瞳は暗い。
抑えていた愛を解き放つようにキスしていても、
愛が終わるのを確かめるようだった。
最後にいずみが流す涙、両方の目を拭ってあげる葉山先生の右手。
苦しいけれど嬉しい、そして悲しい、ラブシーンだった。
そういえば。
松本潤の数多くのラブシーンの中で、
悲しく、別れを前にして抱擁するのがあった。
「僕は妹を愛する」の頼。
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「陽だまりの彼女」の浩介。
また見たくなったなあ。